大塚のバッティングセンターand池袋徘徊
昨日の話なんだけど、大塚にあるバッティングセンターに行ってきた。
東京にある俺が知っているor行ったことがあるバッティングセンターは
- 神宮バッティングドーム
- 歌舞伎町バッティングセンター
- オスローバッティングセンター(歌舞伎町)
- オスローバッティングセンター(荻窪)
- 池袋バッティングセンター(改装中)
- 大塚バッティングセンター
- 春日町(練馬)バッティングセンター
まあこんなとこかね。俺がよく行くバッティングセンターの長所としては
大塚は1000円で4ゲームのため費用的には安い。
神宮はバットの重さが自分に一番合っていて打ちやすいところと、相手投手が映像で出てきて投げてくれること。(しかも菊池雄星とか番長といった実在投手)
歌舞伎町はストラックアウトで球速が表示されること。
春日町は1000円で6ゲームできる安さ(ただし交通費がかさむ)
他のバッティングセンターも行ったらここで書こうと思う。とりあえず第一弾は大塚バッティングセンターの紹介と夜の池袋散歩について書いてみる。
はい大塚のバッティングセンター前です。横の商店街の名前に三業って言葉がある点でこの街がかつては芸者街であったことがわかる。(今はピンサロの街だけど)
で、中はこんな感じです。俺は毎回110km/hのスピードでやってるんだけど、ここは80~130まであります。
で、ヒットのところに当てるとうまい棒、この写真だとわからないけどホームランの所に当てると無料券がもらえます。あと130km/hの打席は西島秀俊さんが宝くじのcmで使ったんだってさ。まあ同僚が宝くじで億万長者になったら俺も130でブンブン振り回すってもんですわ。
あとゲーセンが併設されていて、UFOキャッチャーとかに混ざってこういう謎ゲームもあった。
なんかミニゲームがたくさんあるゲームらしいんだけど需要が謎。
TAITOって電車でGOで有名だけど、基本的にはこういうメジャーになれないゲームを作る会社ってイメージだわ。電車でGOも特にPS2に移行した後はクソゲーだったし(しかもバグが多いといった根本的な問題)面白いものを作るっていうのは大変なことなんだなと改めて感じました。
その後、大塚を離れて歩いて池袋まで行った。
経路としては、帝京平成大学付近を通ってサンシャイン前を通り、サンシャイン通りを通って明治通りへ抜けて、ジュンク堂に至るという経路をとった。
ジュンク堂8階からの夕日。
写真の技術は本当に上げたいと思う。
新しい本を読みたいんだけど、遅読の俺は今読んでる本がなかなか読み終わらない。あと200ページに10日位かかると思うわ。一日にやることを決めてやらないとこれからの生活死ぬ気がするな。
ブログは毎日必ず続けよう。
で、結局今年度の選手名鑑を2冊(日刊スポーツの小さいやつとスラッガー特別編集の大きいやつ)を買って南池袋公園で凍えながらビール飲んだ。
本来なら芝生に寝ころべるんだけど、さすがに寒くて身を縮めながらベンチ的なところで飲んだ。
ここで一人で飲んでいると、すごい心地よい孤独感を味わえるんですよね。春先は平和な家族連れがたくさんいて、それを見てビールを飲んでいると孤独ではあるんだけど純粋にほほえましくなるっていう不思議な感覚を味わえます。
これは、池袋の他の場所が欲望をむき出しにしている分、オアシス的な安心感が与えるものなんですかね?よくわかりません。
で、その後は池袋北口に行ってみた。
はいそうです、池袋の中で最も欲望むき出しのところです。
ラブホから一人で出て電話で業務報告しているデリヘル嬢を見て、母親とレミゼラブル見に行って冒頭娼婦がめちゃくちゃに犯されるシーン見てヒエヒエになったの思い出した。
フリースタイルダンジョン#7 MC☆ニガリa.k.a. 赤い稲妻 vs R-指定|ダンジョン!
フリースタイルダンジョンでニガリがR指定に「自信がなかったらチェンジしてもいいんだぜ」っていう発言に対するアンサーに「そういう女にもリスペクトあるからチェンジはしない」って言ってたけど、まさしくそう思った。
同じ仕事でもなぜ差別されるのかね。俺も人の肩書、職種等の色眼鏡を外して、その人の本質を見ることができる人間になりたい。現状ほど遠いけど。
なんかずっと前日の話しているみたいだから、あとで今日のことも書きます。
今日の雑記 アクセスゼロ解消 ロフトの広告 南極カチコチ大冒険
ブログ開設から4日目にアクセスが初めてついた。
正直こんなに時間かかるとは思わなかったなー
昨日は酒飲みつつ支離滅裂な長文を書いたんだけど、そのことがアクセス数につながったのかな。
あとはてなブログに登録している人をかたっぱしに読者登録したこともよかったかもしれないね。
ただはてなブログって検索機能ないところが本当に無能だと思うわ。
あと自分のブログ内容にニコ動みたいなタグをつけることができれば、もっといろいろな人を呼び寄せることができると思うんだけどな。まあ俺が知らないだけかもしれないんだけど。
てなことでアクセス数ゼロが解消できたことが一点。
で、二つ目はロフトの広告について
この広告なんだけど、体の折れ具合とか笑顔の感じとかを見るとウキウキ感が伝わってすごく良い。
池袋に行くとこの広告があるんだけど、俺は思わず微笑んでしまう。
ロフトの他の広告はそんなに心を動かさないんだけど、これは見つけたら一日幸せな気分になります。まさに心のオアシスって感じだね。
で、3点目はドラえもんの最新映画
最近はリメイクと最新作を隔年でやってるらしいけど、これはつまんなそうだなーって題名見て思っちゃったんだよね。
懐古厨っぽくなっちゃうけど、昔のドラえもんって鉄人兵団とか大魔境みたいな感じの題名で、むやみに長くなかったような気がする。
だから『ドラえもん・のび太の南極探検記』だったらどんなんだろうって思うんだけど『カチコチ大作戦』じゃあねぇ…
まぁこの題名が伏線になってるんだと思うけど、大人が見たくなるような題名ではないかね。
とにかく興行成績がカチコチに冷え込まないことを祈ります。ただ収入的には右肩上がりではあるみたいだけどね。
追伸
読者のかたも出来たみたいです
本当にありがとうございます
『グレートギャツビー』から考える、良い友達とは何か?について
おととい大学に入ってからの友人が飲みに誘ってくれたのでサシで飲みに行った。
この友人というのは俺が尊敬する3人の中の一人である(他の二人はまた別の機会に書く)んだけど、改めて良い友達をもったと思った(本気で)。
それで今日は、尊敬できる友人(もっと広く言えば人間)というのがどのようなものであるか、そしてその条件について書いていこうと思う。
以前、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』という小説を読んだ。
まあ正直そんなに面白くもなかったんだけど、「変わり者は、より常識的な人間を友人としたがる」云々ってことばが心に残ってる。
この「変わり者」ってのが経歴不詳の若き大富豪であるジェイ・ギャツビーで「常識的な人間」ってのが狂言回しであるニック・キャラウェイになるんだけど、俺におととい付き合ってくれた友人がまさにこの「常識的な人間」に当てはまると思う。
この小説ではなぜ変わり者が常識的な人間を欲するのか書いていなかった(と思う)んだけど、俺は「変わり者は、自分自身が予測不可能な存在だから、周りが予測可能でないと意識が保てないから」というのが理由だと思う。
俺自身はギャツビーのように才覚も金もないし、クリエイティブな発想もないからこの小説で言うところの「変わり者」ではないけど、実際身近でも、テレビでも、予測不可能な人間を見聞きすると、臓器移植における拒絶反応のような感覚に襲われる。
それが顕著に表れるのが堀内健をテレビで見たときである。
彼がテレビ画面に出るとたいてい大暴れしている。我が家の24インチのテレビ画面を縦横無尽に暴れまわっている。そして一般人相手にもお構いなく無茶苦茶なことをしでかしてそれに戸惑って愛想笑いをするしかない一般人と、スタジオで「健ちゃんやばいな~w」って具合で笑っている図を見ると、真剣に腹が立つ。
俺が思うに、変わり者度合いが増えるにしたがって、自分の領域を大切にしたい、侵されたくないという心理が働く傾向が強くなると思う。だから仮に俺が堀内健に道端で遭遇して「う~カンチョー!!」とか叫ばれつつ行動に移されたら愛想笑いなんかせず即座に頭をひっ叩くと思う。
上のリンクは同じく変わり者であろう太田光が、番組内で堀内健に「実力行使」をして取集を付けたという話である。
バラエティーだからまあ台本はあると思うのだが、これは変わり者同士が邂逅したらどうなってしまうのかの実例であると思う。
話を元に戻すが、尊敬できる友人、特に変わり者にとってのそれは、常識的であることが第一の条件であると思う。
第二の条件としては、交友関係が広いということである。
大学は中高と比べ、人間関係が薄っぺらくなるというのはよく言われている。
よっ友という言葉があるように「あーあいつサークルの飲み会にいたかもしれない」とか「あいつ○○の友達って××が言っていたなぁ」みたいなことでよくわかんないけどキャンパス内で手を挙げるということが増える。
そういう薄っぺらい人間関係って実際面倒なことが増えるだけで実益はないんだけど、それでも周囲に人間がいないと不安になってしまい、ろくでもない人間とつるんで心に変調をきたす人が大学には多い。
厄介なことに大学に存在するろくでもない人間っていうのは見た目や言動ですぐに見分けることができない。
この人種については別の機会にまとめて書いてみようと思う。
一方、尊敬できる友人というのは自然に広い範囲から人が集まる。
世の中にはどうすれば友人を作れるかとか、どうすれば交友関係を広げられるかといった話題があふれているが、結局は明るく誠実な人間の元に人が集まるという事が真理であると思う。
俺が大学で学んだ事の中で最も重要なことの一つとして、本当に尊敬できる人を友人にしたら、人間関係で苦労することはないということである。
尊敬できる人は、どんな立場の人とも平等に接することができるため、そういう人と友人になれれば様々な立場の人と友達になれるし、その相手もたいていいい人であるから結果として良好な人間関係を結ぶことができる。
第三の条件として、常に何かしらのことに対して努力をしているということである。
俺の友人は、早い段階で就活に関して対策をおこなっており、今の時点で本選考に進んでいる。
こういった姿勢を見せられると自分も刺激を受けるし、物事を誠実にこなすことの大切さを自分が今まで軽視していた分、痛感させられるからである。
本当に尊敬できる人というのは、言葉ではなく行動や姿勢で自分がどうあるべきかということを示してくれると思う。
以上の三点が尊敬できる友人の条件であり、俺の友人はすべて満たしているといえる。
その他のいいところとしては、野球が好きなところと酒が強いことと、終電があったのにオールに付き合ってくれるとこかね。
俺がドンキでグラサンかけて遊んでても温かい目で見てくれててありがとう。
羽生PAでとろろ飯と鬼メンチ食ってきた
今日は栃木県にある祖母の家にレンタカーで行ってきた。
今までレンタカーって大手のそれしか使わなかったんだけど、その理由はたった一つで初心者マークが外れないと格安レンタカーに乗車する資格がなかったんですよね。
せっかく家のすぐ近くに格安レンタカー屋があるのに「貴様ごとき初心者のタコが借りれると思うなボケ」っていうことでわざわざ遠くのニッポンレンタカーで高い金を払わなくちゃいけなくて悔しさのあまり枕を濡らしておりました。
ま、一年たって晴れて今日格安レンタカーに乗ることができたんだけど、一番びっくりしたことが上の写真のウィッシュの走行距離
130000km
まぁここらへんだよね、方向指示器出しても音ならないし、ブルートゥース対応してないからFMトランスミッターとかいう代物を使わないとスマホ接続できないし。
ただそれを考えても格安レンタカーのほうがいいとは思ったけどね。
そんなこんなで首都高と東北道に乗って北上していったわけなんだが、行きと帰りに佐野SAと羽生PAに寄ったのでそのことについて書こうと思う。
まず行きに行ったのがこの佐野SA
SAなんだけど施設の規模としては羽生PAのほうが大きいと感じた。まあここは宿泊することもできるらしいけどね
芝生とかあってごろごろするのも楽しいんだけど基本的にはそんなに見るところはなかった。
でもこのSAの唯一の見どころとして、栃木の旨いものって書いてあるのにのれんに書いてあるのは
本場 米沢牛
てとこかね。
僕はこういうの好きです。
で、なんやかんや祖母にあったりして帰りは羽生PAにいった。
コンセプトとしては、鬼平犯科帳の舞台である江戸を再現したらしい。
で、埼玉くんだりでなんで江戸なのかというと栗橋の関所が近くにあるからだってさ。
てか羽生と栗橋っていうほど近いか? まあ無理やり感はあります。
でこれが今日食べたとろろ飯です。右上にある醤油をとろろ飯の上にまんべんなくかけて混ぜ、口に入れると、とろろの滑らかさと山椒の風味が絶妙にマッチして非常にうまかった。
ついでに言うと漬物とみそ汁が味に変化を与えてくれる点も地味ながら素晴らしいと感じた。
これで500円という点もまた素晴らしい。いや本当に。
で、もう一つ食べたのがこの鬼メンチ
こっちはニンニクがおそらく入っていてそれが食欲をそそる。
あとちゃんと熱々で出してくれるし、外側のサクサク感も普段食ってる冷凍とは比べ物にならない(あたりまえだけど)点が素晴らしかった。
300円と聞くとちょっと高いと思うけど、油が多い分しっかり食べた感じするから割高ではないのかな。
その後帰路についたわけだけど、中央環状線の五色櫻大橋からの夜景を見て、東京離れたくないなぁって思いました。神奈川県民だけど。
「ため口」について考える
ものすごい更新頻度になるけどもう一つ書きたいことが見つかった。
ブログだから誰かほかの人が見ているという前提で問いかけてみる
あなたは、同僚or同級生に対してどのタイミングでため口にしましたか?
なんか大学に入るとたとえ同級生であったとしても最初は丁寧な言葉で「どこの出身ですか?」だの「なんか趣味あるんすか?」だのといった言葉遣いをしないといけなかったり、相手を呼ぶときも、最初は「佐藤くん」とか「鈴木さん」みたいな感じで呼びかけないといけない風潮があると思う。
高校中学小学校なんてものは自然と人間関係が形成されたのに、大学生になってなぜこのような変化が起きるのか?
これはバイトでも同じことが言える。
俺は個別の塾でバイトしていて、社員を除けば約40人が大学生なんだが2年働いてもいまだにため口で話すことができない。
まぁなんでかっていうと基本的にこのバイトは仲間と話すことがないこともあって接点がないことだと思うんですよ。
だからだれが何年生かってことぐらいはわかるけどそれ以上の情報がない。ひょっとしたら俺の知らないところでツイッター等でつながっているのかもしれんが、ツイッターで「つながる」ということが嫌いなうえに「ツイッターやってますか?」って聞くことができない人見知りの俺は蚊帳の外になる。
たまの飲み会では割と楽しく会話するが、その楽しい会話状態が次バイト先に行ったときには完全リセットされて「お疲れさまでした…(小声)」って感じで家路についてしまう。
ということでいま皆さんに聞きたいことは
- 同級生には自然な感じでため口をきいていいか
- 相手を何て呼ぶか(君付け、さん付けをするor呼び捨て)
- 緩やかに形成されているグループにいつの間にか溶け込むにはどうすればいいか
という三点についてぜひ意見がほしい。ほしいです。すごくほしいですよろしくお願いします。
とりあえず最初
まあどれくらい読んでくれるかわかんないですよ実際。
どうしてそんなことを真っ先に書くのかというと、ブログってものは誰かに見てもらいその上でレスポンスをくれるという一連の流れを可能にするわけであって、そうでなければわざわざ糞めんどくさいアカウント設定をしてしこしこ自己紹介文を作らずとも日記を買ってそこに書いていればいいわけだし。
俺は実際の人間関係の中では、少ない友人に対して「俺は一人がいい。もし宝くじで10億円当たったならば、新宿あたりにワンルームマンションの部屋を買って、一生グダグダしていたい。人とは生きていく過程で仕方なく付き合うのであって10億円という贅沢をしなければ一生食べるのに困らない金を得たら、人と会話しなくても生きることができる状況が形成される。だから一人で必死にゴロゴロすることに全力を尽くす一生を過ごす」ということを言っているし、自分でもそう思っていた。
でもなにを思ったのかこうしてブログを開設して、今こうやって書いているということは、自分にも自己顕示欲というものがあったのだなぁという発見があり、やはり人ってものは本質的にはみな変わらないんだなぁということを知ったね。
実はブログ開設の理由は一応あるんだけどそれは次書くことにする。
まあ俺の予想だと一か月たって誰もコメントつけてくれずにフェードアウトだと思うけどね