「ため口」について考える

ものすごい更新頻度になるけどもう一つ書きたいことが見つかった。

ブログだから誰かほかの人が見ているという前提で問いかけてみる

あなたは、同僚or同級生に対してどのタイミングでため口にしましたか?

なんか大学に入るとたとえ同級生であったとしても最初は丁寧な言葉で「どこの出身ですか?」だの「なんか趣味あるんすか?」だのといった言葉遣いをしないといけなかったり、相手を呼ぶときも、最初は「佐藤くん」とか「鈴木さん」みたいな感じで呼びかけないといけない風潮があると思う。

高校中学小学校なんてものは自然と人間関係が形成されたのに、大学生になってなぜこのような変化が起きるのか?

これはバイトでも同じことが言える。

俺は個別の塾でバイトしていて、社員を除けば約40人が大学生なんだが2年働いてもいまだにため口で話すことができない。

まぁなんでかっていうと基本的にこのバイトは仲間と話すことがないこともあって接点がないことだと思うんですよ。

だからだれが何年生かってことぐらいはわかるけどそれ以上の情報がない。ひょっとしたら俺の知らないところでツイッター等でつながっているのかもしれんが、ツイッターで「つながる」ということが嫌いなうえに「ツイッターやってますか?」って聞くことができない人見知りの俺は蚊帳の外になる。

たまの飲み会では割と楽しく会話するが、その楽しい会話状態が次バイト先に行ったときには完全リセットされて「お疲れさまでした…(小声)」って感じで家路についてしまう。

ということでいま皆さんに聞きたいことは

  • 同級生には自然な感じでため口をきいていいか
  • 相手を何て呼ぶか(君付け、さん付けをするor呼び捨て)
  • 緩やかに形成されているグループにいつの間にか溶け込むにはどうすればいいか

という三点についてぜひ意見がほしい。ほしいです。すごくほしいですよろしくお願いします。

 

 

とりあえず最初

まあどれくらい読んでくれるかわかんないですよ実際。

どうしてそんなことを真っ先に書くのかというと、ブログってものは誰かに見てもらいその上でレスポンスをくれるという一連の流れを可能にするわけであって、そうでなければわざわざ糞めんどくさいアカウント設定をしてしこしこ自己紹介文を作らずとも日記を買ってそこに書いていればいいわけだし。

俺は実際の人間関係の中では、少ない友人に対して「俺は一人がいい。もし宝くじで10億円当たったならば、新宿あたりにワンルームマンションの部屋を買って、一生グダグダしていたい。人とは生きていく過程で仕方なく付き合うのであって10億円という贅沢をしなければ一生食べるのに困らない金を得たら、人と会話しなくても生きることができる状況が形成される。だから一人で必死にゴロゴロすることに全力を尽くす一生を過ごす」ということを言っているし、自分でもそう思っていた。

でもなにを思ったのかこうしてブログを開設して、今こうやって書いているということは、自分にも自己顕示欲というものがあったのだなぁという発見があり、やはり人ってものは本質的にはみな変わらないんだなぁということを知ったね。

実はブログ開設の理由は一応あるんだけどそれは次書くことにする。

まあ俺の予想だと一か月たって誰もコメントつけてくれずにフェードアウトだと思うけどね